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キャリアの軌跡 則安 俊昭

人々を幸福に向かわせる仕事は重圧もあるが喜びも大きい


1986 岡山大学医学部医学科 卒業

1990 岡山大学大学院医学研究科

   (放射線医学専攻)修了

    岡山赤十字病院 放射線科 医師

1992 国立岡山病院 放射線科 医師

1996 岡山県 保健福祉部 保健福祉課 主任

1997 岡山県 保健福祉部 高齢者対策課 主任

1999 厚生省 老人保健福祉局 老人保健課 課長補佐

2001 厚生労働省 大臣官房統計情報部

    保健統計室 室長補佐

2002 岡山県 保健福祉部 施設指導課 課長補佐

2004 岡山県 阿新保健所 保健課長

2005 岡山県 保健福祉部 施設指導課 参事

2006 岡山県 井笠保健所長

2008岡山県 保健福祉部 健康対策課長


医師としてのターニングポイントは

大学を卒業後、直ちに岡大放射線医学教室に入局、同時に大学院に入学して、予定どおり4年で修了し学位を取得、その後岡山赤十字病院、国立岡山病院の放射線科医として、通算10年間を過ごした。日々の業務は、CTやMRI、消化管造影、超音波検査等の画像診断が中心で、その中には多くの末期がんの患者さんも含まれていた。こうした患者さんの検査画像には、多くの所見があって、予想される続発症等も考えながらの読影には相当のエネルギーを要した。


しかし、画像診断に回ってくる患者さんの多くは、「時、既に遅し」の感が強く、ある種の限界を感じつつ、一方で、がん検診の重要性への認識が変わり、また、疾病の予防にも関心が向いていた。そうした時に、疫学・衛生学教室の某先生が、私の処へ臨床研修でローテーションして来られ、公衆衛生の意義・楽しさ等を聴かせてくださった。「公衆衛生はおもしろい。」と雰囲気を感じただけだったのかもしれないが、「人生は博打」と思い切り、伝手を辿って岡山県に働きかけた。当時の県の人事は職員採用も甘く、先輩方の御理解と応援をいただき、基礎トレーニングもないまま想いだけを持って、岡山県に奉職することとなった。


3年間、県庁で行政職員の基礎トレーニングを受け、その後、国と県の人事交流で、平成11年4月から3年間、厚生労働省に勤務させていただいた。診療報酬改定や介護保険制度の創設、老人保健事業計画の策定と施行等、兆円規模の国の制度の創設、改正、運営等について、知識を詰め込み、知恵を絞って案を作り、組織内部で検討し、外部の関係者のコンセンサスを得ながら施策を進める過程に関わらせていただいた。


行政の影響力と責任の大きさ、また、医系技官の仕事の量と質には、当初、圧倒されたが、この3年間が現在の自分の基礎となっている。仕事に対する姿勢を、県採用時の「出来るだけ」から「出来るまで」に変えることで、仕事の成果が確実に上がり、楽しいものになる体験をさせていただいた。併せて、行政の中の医師の役割・あるべき姿も学ばせていただいた。優秀な上司や同僚に囲まれて研鑽を積むことは、一生の宝になる。

国に較べ、県は現場に近く、市は更に現場に近い。岡山県に戻った後も、例えば、平成19年1月の高梁市の高病原性鳥インフルエンザの発生の際には現地対策本部の副本部長として、また、平成21年4月からのH1N1新型インフルエンザ流行の際には県の担当課長として、多くの方から涙が出るような御支援と御協力をいただきながら、任務を遂行させていただいた。何処に身を置いても、やり甲斐や楽しさ、責任は十分にあると思う。







高病原性鳥インフルエンザ対応、防疫作業従事者への防護服着用集団指導