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キャリアの軌跡 松本 健五

「関心、感動、感謝」が人生の三冠王

1977 岡山大学医学部卒業

    岡山大学医学部 脳神経外科入局

    (西本詮教授)

1983 カリフォルニア大学

    サンフランシスコ校

    脳神経外科、脳腫瘍 研究所留学

1986 岡山大学医学部 脳神経外科助手

1995 岡山大学医学部 脳神経外科講師

    (大本堯史教授)

1997 岡山大学医学部 脳神経外科助教授

2003 岡山市立市民病院副院長兼脳神経外科部長

2005 岡山市立市民病院長

2008 岡山市病院事業管理者兼岡山市立市民病院長


力愛不二、拳禅一如       

私は脳神経外科医であり、岡山市立市民病院の院長、岡山市病院事業管理者と市民のみなさま、また社会との関わりの多い仕事をさせていただいています。私は、中学・高校と剣道部に所属し、「心・技・体」、特に「心」の重要性を学ばせていただきました。現在、岡山市立市民病院の基本理念は「心・技・体」です。心の通い合う医療の提供、質の高い安全な医療の提供、健全で自立した経営と働きやすい職場です。大学では「愛(正義)なき力は暴力であり、力なき愛(正義)は無力である」という少林寺拳法の教えを熱心に説く先輩に惹かれ入部し6年間修行しました。少林寺拳法は、単なるスポーツではなく、「金剛禅」という独自の教えに基づいて、仁王尊のような「金剛の肉体」と達磨の「不撓不屈の精神」を目指した修行法をとる宗門の行です。人間の脳の働きである「心」と「身」の双方の修養が必要であり、単に肉体を鍛えるだけの修行では価値がなく、鎮魂行など精神修養を行います。たとえ病に倒れても強靭な精神で乗り越えられる方を多々見受けます。「気」は大事なのです。


















学生時代。リュックひとつでの世界一人旅。夏休み、冬休みを利用して毎年数ヶ月6年間、世界各地を何でもみてやろうと歩きました。アジア、中近東、ヨーロッパ、大都市から小さな町までさまよいました。ある年はミュンヘン近くの小さな町のパッサウのドイツ語学校にも2ヶ月間留学、その後、旅を1ヶ月続けました。そのころは、日本人も少なく、珍しがられて声をよくかけられました。昼休み、校庭でアラブ人などに頼まれ、少林寺拳法の指導もしました。海外旅行、最初の地はタイ奥地のジャングル生活。クワイ河医学踏査隊の一員としてのものでした。すべてが新鮮でした。一人旅の始まりはその半年後の花の都パリ。凱旋門の前に立ったとき、幼いころからの夢の達成感と余りのうれしさで「今、この瞬間、自分はもう死んでもいい。あとはおつりの人生だ。」と感きわまり、心がふるえました。今でもあの感動は鮮明におぼえています。その後の人生がこんなに長いとはその時は思いませんでしたが。貧しい国、豊かな国を旅し、いろいろな人に出会いました。不思議と貧しい国の人々の目は輝き、豊かな国になるほど人の目の輝きが失せて見えました。「言葉は違ってもみな一緒。人は物質的に恵まれても幸せになれない。食べて、寝て、出せるところ、そして夢と希望、感動する心さえあれば、幸せになれるのだ」ということを学びました。


















卒業後、脳神経外科に入局し、3年間の関連病院での臨床研修を経て大学へ帰局。研究室へ。3年間の脳腫瘍治療の研究成果をもって、希望留学先にapplication提出。電話インタビューも含めた審査後、カリフォルニア大学サンフランシスコ校(UCSF)に留学となりました。渡米後、何も違和感なくスムーズに研究に生活に溶け込めたのも学生時代の経験が生きた感がします。

留学時代は本業以外にも、UCSF日本人会を立ち上げ、初代会長(会員30人、家族含めてめて100人)を2年間務め、その間UCSFに留学されたすべての先生方との交流をさせていただきました。よく引っ越しも手伝いました。また、ラジオドクター(ラジオ毎日)として毎週1回、ベイエリア300万人の日本人向けの健康相談をしてきました。帰国直前、お別れの挨拶をすると、ただちに電話が鳴り響き、多くのリスナーから感謝の言葉をいただいたことが驚きであり、胸が熱くなりました。それと、ゴルフではホールインワンを達成しました。カリフォルニアの青い空の下で。

留学生活を通じ、手術をはじめ脳神経外科とは何たるかを学ぶとともに、人種を問わず生涯の友人の輪も広がりました。まさに感動満載の留学生活でした。


















帰局後、臨床、教育、研究に専念し、助教授を経て、20数余年の長い大学生活を卒業し、岡山市立市民病院へ赴任しました。

あー光陰矢のごとし