top of page

キャリアの軌跡 井上 一

チャレンジ精神で一歩踏みだし前へ進んでみることです

1964 岡山大学医学部卒業

1969 岡山大学大学院博士課程修了

1970 フィンランド・英国に留学

1973 岡山大学医学部附属病院 整形外科 助手

1984 岡山大学医学部附属病院 整形外科 講師

1987 岡山大学医学部 整形外科 助教授

1990 岡山大学医学部 整形外科 教授

2000 岡山大学医学部附属病院長(1期2年間)

2001 岡山大学大学院医歯薬学総合研究科 教授

2003 岡山大学副学長・(兼)岡山大学図書館長

2004 国立大学法人岡山大学理事・副学長

2005 国立大学法人岡山大学理事・副学長退任

    ・岡山大学名誉教授

    独立行政法人労働者健康福祉機構香川労災病院長

2010 同定年退職、同名誉院長



医師としてのターニングポイントは

医学部卒業後インターンを経て臨床医を希望し、ほとんど迷うことなく整形外科(児玉俊夫教授)を選んだ。直ぐ大学院に入ったが、児玉教授のもとでリウマチの治療に直接タッチさせていただくかたわら関節病学を始めた。関節機能の不思議さに魅せられ第2解剖学教室に出入りし、関節の微細構造の研究に従事できた。当時、走査電子鏡の生物学分野への応用にも取り組んだ。しかし、臨床医学の面白さには勝ち難く、リウマチを中心とした破壊関節の再建に情熱が移った。その頃(1970年)リウマチ外科分野で著名なK.Vainio教授(フィンランド)のもとに留学し、リウマチ外科の修練とリウマチ病態学の研究も継続できた。翌年ロンドンのケネディー・リウマチ研究所(D.L.Gardner所長)の研究員となり、関節軟骨破壊の病態研究に取り組むことになった。帰国後は関節再建術の開発と関節病態の研究に明け暮れた。職の最後の方は、附属病院長、副学長など管理職としての組織経営に努めた。 私は医師として特にターニングポイントを意識してなかったが、その折々に力一杯仕事に取り組んだことであり、その間幾人かの師と仰ぐ方々にめぐり合う好運に恵まれたことである。


医師としてキャリアを積む上で大切にしていることは

私は岡山大学を中心に臨床もやってきたし、また基礎研究にも従事してきたので、一般にいう臨床医としては異形かも知れません。医師としてのキャリア・アップを計るにはもちろん多くの症例を経験して、そうした中から自分なりの医療の在り方を会得していくことは当然である。しかし、私は「医師のキャリアは総合的な人間力の積載」だと思っている。臨床的な能力ばかりでなく、教養や健康にも留意し、一人の人間としての総合力を磨いていく以外にないと思います。 そうしたことを考えると次の3つを挙げさせて頂きます。 1)患者さんとは真摯に向き合う(診察中手をとってでも話しかける) 2)興味が湧いたこと、不明なことは、よく考えたり追及もしてみる(1つ1つを大切に!) 3)読書を心がける(専門外の本を月5冊くらいは読む努力)


これから医師としてキャリアを積む後輩へのアドバイス

医療の現場は多忙で過酷な仕事の連続だとよく言われます。確かに過重労働の医師が多いでしょう。果たしてそれだけでしょうか。人間は厳しい環境でこそ良く成長するともいわれます。また、過酷な時を超えて新しい人生の展開をみたり、自分の能力の開発を経験すると、昔のことが自分にとって大きな肥やしであったり、充実の時であったりするものです。チャレンジ精神で、一歩踏み出し前に進んでみることです。人生にはロマンを求めることも大切です。着実に一日一日、できることからやってみましょう。


〔詳しい私のキャリアは自分史「やれば何とかなるもんだ」(井上 一 著、丸善出版、2007年)をお読み下されば幸いです。岡山大学鹿田分館にも寄贈しております。〕


653 views0 comments

Recent Posts

See All

キャリアの軌跡 福岡 敏雄

目標は遠くに置き、多面的に考えながら、楽しんでやって行きましょう。 1986    大阪大学卒業 1986-1989 大阪大学医学部付属病院  研修医:泌尿器科・ICU、 大阪府立病院 レジデント:麻酔科 1989-1992 倉敷中央病院:循環器内科 1992-2006 名古屋大学 大学教員 集中治療部、救急部、救急・集中医学講座、 卒後臨床研修センター 2006  倉敷中央病院:

キャリアの軌跡 橋本 悦子

与えられた場所で価値を見出して努力することが大切 1977 東京女子医科大学医学部 卒業 同 消化器病センター 医療練士 1983 消化器病センター 助手 1987 Mayo Clinic 留学 1989 東京女子医科大学消化器病内科 帰局 1996 同 消化器内科 講師 2005 同 助教授2007同 教授 医師としてのターニングポイントは 東京女子医大を卒業後、アメリカで医師として働くことが夢

キャリアの軌跡 則安 俊昭

人々を幸福に向かわせる仕事は重圧もあるが喜びも大きい 1986 岡山大学医学部医学科 卒業 1990 岡山大学大学院医学研究科 (放射線医学専攻)修了 岡山赤十字病院 放射線科 医師 1992 国立岡山病院 放射線科 医師 1996 岡山県 保健福祉部 保健福祉課 主任 1997 岡山県 保健福祉部 高齢者対策課 主任 1999 厚生省 老人保健福祉局 老人保健課 課長補佐 2001 厚生労働省

bottom of page